「娘小説」の番外編です。
さっきから一時間たつけれど有効な考えは思い浮かばない。
かわいい後輩の「劇的な性転換」を前に魔術も奇跡も使えないヤン・ウェンリーは
アッテンボローが飛び込んだシティホテルの一室で頭を抱える。
この部屋は彼女がキャッシュで「偽名」をつかって取った部屋である。
軍人ダスティ・アッテンボローのカードを使うともっとややこしいことになっていただろうから
動転していても彼女はある意味明晰であった。
「キャゼルヌに話しても埒があきそうもないね。」
ヤンとしては大きすぎる秘密を自分ひとりで抱え込むより「共有する人間」がいればいいのであるが
かといって解決につながらないならばむやみに知らせるべきではない。
しかし。
「やっぱりポプランには言わないといけないんじゃないかな。彼だってはなせばわかるだろう。」
これを言えばアッテンボローは泣き出すのはわかっていてる。
言い出さなくてもさっきからめそめそ泣いている。
もしもポプランと別れることになったらと言う気持ちが大きいのだろう。
彼女は体や声は男だが
「心は乙女でしかも今日の午後いきなり男になった被害者」なのだ。
無理はない。
28年間女性で育ち無論軍人だから男のように扱われてきた部分はあっても女であることには
かわりがない。かわいそうだなとヤンは思っている。だから泣くのをやめなさいとか一切言わない。
解決策があれば自分の後輩は泣かないで実行している。
けれど「不条理な性転換」ではさすがの彼女も太刀打ちできまい。
「・・・・・・嫌われちゃいます。」
「そうとは限らないよ。」いささか自信がないし説得力もないヤン・ウェンリー。
アッテンボローはこの一時間ほどでずいぶんしくしくえんえんと泣いたので目が真っ赤。
それがヤンには痛々しい。
「ともかくここにあいつを呼ぼう。あれでもお前のことを引き受けた男だし。事情がわかれば
嫌いにはならないと思うよ。」
「・・・・・・でも恋人としては・・・・・・私失格ですよね。」
涙をためてわざと微笑もうとする後輩
「先輩だって司令官で忙しいのに私のことで時間をとらせて。いつまでも泣いてばかりですみません。
・・・・・・時間を拘束してごめんなさい。」
ヤンはアッテンボローの頭を撫でる。
12歳くらいのユリアンの頭を撫でたような気持ちになる。
「馬鹿を言うんじゃないよ。お前のための時間は私にだってある。それにこれは一大事だ。
性転換だけでも一大事だけれど生命に別状があったらそれが恐い。だから病院にはいこう。
その手配は私がする。実験材料には絶対にさせない。こういうときこそ自分の持っている権力を
使ってもいいだろう。私は一応軍部のNO.3にいる人間だ。安心しなさい。軍にいる以上はお前を
守ることはできるんだよ。・・・・・・ちょっと私情が入りすぎているがしかたない。」
ついでにこの間の査問会を逆手に取れば政府のコネもなくはないと思い返す。
「先輩・・・・・・。」
「だから病院へは行こう。医者を呼んでもいい。その前にポプランが側にいないと
お前もつらいだろう。」
ぽたぽたとアッテンボローの膝の上で握り締められたこぶしに涙が落ちる。
「・・・・・・お前はポプランを愛しているんだろ。つらい結果になっても愛している人間を
偽って生きていけるほど器用な人間だったかな。つらい結果になったらそれはまたそれ。
あの男は少なくとも一途にお前にほれ込んで一年他の女性に見向きもしなかった。
相手は誠意をもって接してくれている。ならおまえさんも本当のことを言ってあげなさい。
・・・・・・つらいこととはわかっている。すまないね。でも多分これが「誠意」だと思うよ。」
ヤンの言葉にアッテンボローは頭をあげた。
そのとおりだった。
オリビエ・ポプランは正々堂々と自分を愛してくれていた。だからこそ真実は
彼女、彼いやアッテンボローの口から言うべきで人づてに聞かせるべきではない。
「わかりました。先輩の言うとおりです。私卑怯でした。」
アッテンボローが座っているベッドの隣にヤンは腰を下ろした。
「いいや。卑怯じゃない。こういう事例などないし勇気がいるよ。私はえらそうに言うけれど
お前と同じことが起これば何も言えないよ。」
せっかくの美人が台無しだと長いアッテンボローの前髪をヤンがすくってやる。
「お前が男だろうが女だろうが私には何の障害もない。
妹がいないから妹のように思っていたけれどそれは変わらないよ。
お前の心が男になったわけじゃない。悲しい結末になったとしたら私とユリアンと
三人で暮らすかい。思い出が多すぎてお前自分の部屋に戻れなくなりそうだからね。」
こっくりと頷くアッテンボロー。
「ごめんなさい。先輩。しばらく居候するかも。」
「いいよ。ユリアンは偏見を持たないように育てているし事情を話せば
問題ない。うちは部屋も広いし。男所帯だが浴室は二つあるしひとつはお前に
進呈しよう。お前は淑女に変わりがないんだから。キャゼルヌの家だとまだ
娘さんたちが小さいから理解しにくそうだし。うちがいいだろうな。」
でも。
「でも先輩。フレデリカと結婚するときどうするんですか。」
「・・・・・・。絶対に誰にも言うなよ。」
「・・・・・・。はい。」
「まだ当分しない。理由は聞かないでくれ。それといずれは必ず結婚するんですねとも聞くなよ。」
「アイアイサー・・・・・・。」
男になってもきれいなひとはきれいなんだなとヤンは思う。それにしても。
「そうとなったらポプランに連絡しよう。あいつ今頃お前を探してうろうろしているよ。
私から連絡を入れようか。お前がメールするかい。ここで一緒に待っていたほうが
いいなら私から連絡してもかまわないよ。」
「先輩。」
「なんだい。」
「ここってホテルじゃないですか。シングルだけど。」
そうだねとヤンは答える。
「ここに2人でいたらポプランはどう思うでしょう。」
・・・・・・。ややこしいな。さてどっちだ。どれがベターだろう。
「でもね。先輩。現にここに先輩と2人でいてあいつと話すとき2人きりになったとしても
やっぱりここで先輩と一時間ほど相談したことははなすことになるから・・・・・・先輩
いてほしいです。」
・・・・・・・。恋愛とは複雑だな。ヤンは思うがアッテンボローがそうしたいというなら
それでいい。とにかくヤンはアッテンボローの体と心が心配だった。
「じゃあ。ポプランを呼ぶからね。」
とヤンはホテルからではなくアッテンボローの携帯を借りて電話をし始めた。
「やれやれ・・・・・・。ポプランは直情的だよな。耳がまだ痛いよ。声が大きい。ともかくここに
呼んだからね。携帯をお返しするよ。」
ベッドに2人並んで座っている。だからよく会話が聞こえた。
そうとうポプランは怒っているご様子。悋気持ちだからとアッテンボローは思うが
すごく過去の出来事のように感じる。
「すみません。先輩。でも普通は自分の恋人が男と一緒にホテルの部屋にいることを知れば
度を失うでしょ。・・・・・・もっともその恋人は今日の午後急に男になったわけですが。」
そうだねえ。とヤン。
「・・・・・・じゃあこのベッドに並んで座ってるのもよくないじゃないか。」
でもね先輩。とアッテンボロー。
「今先輩が立ち上がってもここに座った形跡が残ってるでしょ。それだけで十分あいつは
頭にくるはずです。・・・・・・いや私は男だしもう嫉妬もされないですよね・・・・・・杞憂でした。」
またも涙がアッテンボローの目に溢れる。
「電話ではさすがにお前の恋人は今生物学上男性に属したともいえないだろう。
私はいきなり殴られたりするかな。ま、そういうことも考慮しよう。」
何言ってるんですか。
「先輩には手を出させません。見てくださいこのこぶし。女でいるころでも喧嘩は
負けなかったんですから殴りかかるようなら私が奴を殴ります。というか私が殴られても
いい心境です。フレデリカには申し訳ないし。」
ヤンはむっとして。
「私とグリーンヒル大尉とは仕事の上の関係だよ。個人的には友人。ユリアンの姉くらいに
思っている。どうしてそう結び付けたがるのかな。」
「私が居候をするようになっちゃったら先輩お嫁さんが来ません。」
アッテンボローはベッドサイドのティッシュで散々さっきから泣いたあとなので鼻をかんでいる。
丸めたティッシュがくずかごに一杯。
「グリーンヒル大尉だってお前の事情を知れば気持ちはわかってくれる。
それにね。まだポプランがお前を捨てるとも限らない。」
「でも・・・・・・男同士で、男同士でどうやって恋人らしいことをすればいいんですか。」
ヤンは肩を落とした。
「ポプランはそういう要素からは逃れられない健康な男だからね・・・・・・。
難しいな。考えれば考えるほど・・・・・・酒でも持ってくればよかったな。もっとも
執務室からカフェに行ってそのままこの部屋にきたからね。といえどもうすぐポプランも来る
だろうし。酒でも飲んでいたらそれこそ私はミンチボールにされてしまう。」
「私以外の女のひとではあいつのイチモツが役に立たないんですって。・・・・・・そういうこと
男の体の機能にあるんでしょうか。」
ヤンは腕を組んで考える。
いつもはこういう話題はアッテンボローとはしない。時折相談されたことがあるが
普段はしない。けれど今は普段とは違う。
非常事態である。
「精神的なEDだね。ないことはないと思うよ。自分の奥さんだけはどうもという男が
多いのも事実だし・・・・・・。それだけお前は特別なんだろうね。ポプランにとって。」
それはまあいいとしても。とアッテンボローはまたも鼻をかんだ。
「それって私が女だからでしょう。・・・・・・生物学的な女だから。」
ヤン・ウェンリー言葉を失う。
「いいんです。私が言うのが間違いでした。世の中には同性愛ってあるけれどあいつは
無類の女好きです。軍にはゲイって多いでしょ。男の尻にようはないってあいついつも
いうんですよね。・・・・・・先輩。」
ヤンは後輩の頭をまた撫でてなんだいという。
「捨てられると思うんで拾ってくださいね。ユリアン以上に料理はうまいですから。
でも紅茶の入れ方ではもうひとつかなわない気もするけれど。」
悲観的になりなさんな。
ヤンは言う。
「私はポプランはお前を捨てないと思うんだけれど。いまひとつ実証がないから
・・・・・・説得力ないね。それに捨てるんじゃなくてこの場合別れるってことになる。
あんまりポプランを悪く言うのも気の毒だよ。一番かわいそうなのはお前だけれどね。
問題は病院のことだな。本当に熱とかはないのか。どこか痛いとか。」
「鼻が痛いです。」
「・・・・・・・かみすぎだよ。」
どこも具合が悪くないならひとまずは安心だが今夜から検査を
受けさせるべきなんだろうか。総合でみてもらう必要があるなとヤンは思い
アッテンボローはまたも涙を浮かべたそのころに。
チャイム音がした。
きらきら星の王子様のご登場であった。
「こんばんは。待っていたんだよ。ポプラン少佐。」
ヤンは別段笑顔でもなくドアを開けて無言で背後から「嫉妬心」の炎が見える
男を部屋の中に招きいれた。
「司令官閣下としてではなくヤン・ウェンリー個人に問うがこの状況は
いったいどういうことなんですか。・・・・・・じっくり聞かせていただきましょう。」
ヤンはぜんぜん動じない。こういう神経だからこそ30にもならぬうちに
イゼルローン要塞の司令官になったのである。
「その前に長い話になるから紅茶を一杯ルームサービスで頼むけれど
いいかな。」
「いい神経をしておいでです。俺はウィスキーダブルをロックでお願いします。」
アッテンボローには・・・・・・・コーヒーでももってきてもらうかとヤンは
ルーム・サービスの電話を入れた。
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