「娘小説」の番外編です。
ヤン・ウェンリー司令官閣下は夕方仕事をひと段落させたとき一通のメールを受け取った。
「司令官閣下へ。カフェ「ブラッドベリ」にいます。来援を請う。D・アッテンボロー。
いつまででも待ちます。」
いつまでも待つとは穏やかじゃないな。それにしてもあいつ相手を
間違えていないのだろうか・・・・・・。
それにしてもなぜメールなんだろうといぶかしげなヤン・ウェンリーであった。
いつもの彼なら公式の伝達はビジホンで。非公式な伝達にしても携帯電話にかけてくる。
メールが好きじゃなかったと思うんだけれど。小首をかしげる上官にフレデリカ・グリーンヒル大尉が
どうかなさいましたかと声をかけた。
「いや。大尉。今日は私がしなければいけない仕事はあとどれくらいあったっけ。」
金褐色の髪をした佳人はありませんと穏やかな声で答えた。
「じゃあ今日はこの辺で終わりにしよう。大尉も帰っていいよ。」
副官殿はにっこりと微笑んでありがとうございますと礼を言った。整然とした執務室は
彼女の勤勉さの賜物。ヤンは一本ユリアンに電話をかけた。ちょっとした用があるから
終わったら電話するよと。そして相手はアッテンボローだし制服でもいいかとそのまま
民間ブロックのカフェ「ブラッドベリ」なる場所へ赴いた。
美人の女性提督は冬でもないのに黒いミリタリーコートを着て店の奥で縮こまっていた。
髪はひとつに結んでサングラス。変装のつもりだろうか。どうみてもあれは
ヤンの後輩のダスティ・アッテンボロー少将だ。
何もそんなに引っ込んだ座席を選ばずともこの店自体人は少ない。
怪しい相談事を持ちかけられたらいやだなとヤン・ウェンリーは思う。
「私もサングラスくらいしてきたほうがよかったかな。どうしたんだ。そのなりは。それにメールも。
今日のお前は変なところだらけだ。」
彼女の向かい側の座席に座った司令官閣下は冗談めいた口調で言う。
彼女はメモにさらさらと文字を書いてすばやくわたす。ヤンはそれに目を通す。
「なんだ。えらく今日は・・・・・・声でもでないのかい。なになに・・・・・・。」
確かにおかしい。彼の知っている女性提督はこんな散文家ではない。
「確かにおかしいね。でも何を助けるのかな。それにこういう周り持った方法をとる必要が
どこにあるんだ。声に出せないのか。・・・・・・もしかして声がでなくなったのかい。」
ぶんぶんと首を振る彼女。
「だったら話しなさい。アッテンボロー。ポプランのことか。浮気でもされたのか。
それとも結婚でもするのか。ちゃんといいなさい。わからないじゃないか。」
・・・・・・。
もう一枚メモを渡されてヤンは肩を落とした。
「あのね。みんな私を買いかぶりすぎだ。私だって人並みの経験値はあるし知識もある。
聖人君子でもないから多少男女のことでも相談には乗れると思う。ポプランではなくて
私を呼んだのはあいつに知られたくないからだろう。だから聞くからはなしてごらん。」
ヤンはできるだけ穏やかに後輩にはなした。よほどのことのようだけれど彼だって読心術の
心得があるわけではない。声がでるならメモではなく話をすればいいのだと思うから
やさしく彼女を促した。家ではユリアンが食事を作って待っているだろうし場合によっては
我が家で三人で食事をしながらのほうがよいかもしれないと青年司令官殿は考えていた。
「・・・・・・こんな声なんです。」
突然彼の目の前の女性から低い声が発せられた。女性にしては低い声。
「・・・・・・風邪かな。だったら医者にみてもらうべきだよ。」
「違うんです。午後からこんな声だったんです。」
「そういえば午後お前休んだね。それが理由なのかい。声くらいで・・・・・・。」
「声だけじゃなくって私、男になっちゃったんです。」
ありえない。
まずヤンはそう結論を出す。
「いいかい。古来から女性が男性になろうという施術は行われてきたしそういう性転換をした女性は
いてもランチの後いきなり男になっていた女性はいないんだよ。ありえないよ。」
アッテンボローは目の前の男性の腕をつかんだ。ヤンは「いつもより手が骨ばっている」と
一瞬感じたがその後の出来事により驚愕した。ヤンの手をアッテンボローは彼女の胸に
ビタッと当てる。
「・・・・・・え。」
「ないでしょ。おっぱいが。乳というものが。ぺったんこでしょ。」
ヤンはあわてて手を引っ込めた。
「悪い冗談はよしなさい。お前ね。やることに事欠いて何を私にさせるんだ。」
すると目の前の女性提督の目から大粒の涙が零れ落ちてきた。
「冗談じゃないんです。ひどい。昼を食べてトイレに行ったら・・・・・・あんなものが、
オリビエみたいなのがくっついててぎゃって声を出したらこんな声で。ラオに変な顔
されたけどすぐ自宅に帰って。浴室で裸になったら・・・・・・男なんですよ。
自宅にいるとオリビエがかえってくるからあわててホテルに飛び込んで・・・・・・・
誰になんて言って相談すればわからないから先輩に・・・・・・先輩にって・・・・・・・。」
えーんと女性提督、いや「急に男性になった提督」はまさしく男性の声でヤンの目の前で
小さな女の子のように泣き出した。
(以降、アッテンボローの声は普通表記で。)
魔術師もびっくりです。
とにかく自分は後輩の心の傷をわかってやれなかったことには気がつき彼女、
じゃなくアッテンボローに謝って肩をつかんだ。
確かに男性にしては華奢だが女性にしてはいかつい肩をしている。
「すまない。まさかこんなことは想定外だったものだから。えっとハンカチは・・・・・・
ああ。きれいじゃないな。なかないで・・・・・・っていっても泣きたいだろうな。ちょっと
落ち着いて・・・・・・それも無理だな。」
彼女は自分でハンカチを取り出して涙を押さえた。もともと女性提督の顔立ちは怜悧で
美丈夫だったので男になったところで大きな変化はない。
「すみません。士官たるもの取り乱して。・・・・・・つまりこんな状況なんです。
でもこれから私はどうすればいいんでしょう。どうして私はこんな目にあったんでしょうか。」
奇跡のヤンも形無しであった。第一彼が生きてきた30年間で性転換手術でもしない限り
突然女性が男性に代わるなどありえない。そんな文献は知らないしやはりありえない。
原因だってどのような因果なのかさっぱり見当もつかない。士官であろうが皇帝であろうが
取り乱すだろう。
「他にはなにかあるかい。熱がでているとかおなかが痛いとか。」
「ないです。別に頭痛もないですし。」
「何か飲食物で変わったものがあったかい。考えにくいが口腔摂取が経路としては考えやすい。
薬を服用したかホルモン関係のものを大量摂取したとか。」
アッテンボローは涙目で「ない」という。ヤンが知っているアッテンボローはめったに薬を飲まないから
薬という可能性は小さかった。けれどほかに何が考え付くだろう。
「医者に行くしかないな。私にはこういう知識はない・・・・・・。」
「先輩、医者にいったら私はモルモット扱いされてもう外に出られません。」
「そ、そんなことはないよ。きっと。」
きっと。ヤン・ウェンリーはアッテンボローの言い分が正しいことを実は知っている。
モルモットとは言い過ぎでも軍部の医者から格好の実験対象として「入院」させられる
と思う。こんなまれな生態学上の材料があれば・・・・・・。まいったなと青年は髪をかく。
「まいったな。でもどうするかだよな。・・・・・・ポプランは知らないんだね。どうして
ポプランに言わないんだ。あいつはお前の恋人じゃないか。」
止まりかけていたアッテンボローの涙がぶわっとあふれ出た。
「あいつは女が好きなんです。生態学上の女が。私は現在生態学上の女じゃないんですよ。
嫌われるに決まってます。ひっく。ひっく・・・・・・。」
えーんえーんとハンカチに顔を押し付けてアッテンボローは泣いた。
そうだった。
撃墜王殿は女性が好きだ。
かわいそうなアッテンボロー。
ヤンはため息をついた。
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