背中より絡めた指で伝え合う・5







傷つけるために、愛した訳じゃない。

苦しめるために、愛した訳じゃない。

あなたの微笑み、おれには痛すぎる・・・・・・。

壊れてもいい。

壊れるのは怖い。



貴方との細い蜘蛛の糸のようなリレイションが失われるなんて・・・・・・。














自分でもこの事の成り行きに戸惑っていないわけではない。

とうとうアレックス・キャゼルヌの私室に今自分はいる・・・・・・。



論文に使う最新データがあるからと善意の声に呼ばれて・・・・・・うかうかと

ついて来た己の厚顔無恥にほとほと呆れる。

我ながら図々しいにも程があるよなあと思わないでもない。









この部屋にはキャゼルヌの生活感がある。

この部屋の持ち主の性格からか割合綺麗に整頓されているし男の一人住まいを考

えれば掃除も行き届いている気がする・・・・・・。ここでキャゼルヌが起きて

あまり得意とはいえない料理をして・・・・・・もしかすると珈琲しか飲まない

かもしれない。台所(キッチン)でスクランブルエッグを作るキャゼルヌの姿はあ

まり想像出来ないし・・・・・・。



そして出勤して夜になるとここに帰ってくる・・・・・・。そして向こうの寝室

で寝るんだろう。

アッテンボローは思いを巡らせた。












一人・・・・・・かな。

一人じゃない夜もあるよな・・・・・・。



心の中で舌打ちをして、アッテンボローはあまりしげしげと部屋の隅まで見ない

ようにした。それはなんとなく卑しい行為のような気がしたからだ。



よこしまな黒い感情。



女性ならそれも愛敬で赦されるかもしれない。恋人候補の女性ならば。キャゼル

ヌに釣り合う妙齢の美人ならば赦される。できれば家庭的な女性・・・・・・。









でも自分はただの後輩で・・・・・・紛れもなく男。

洟垂れ小僧の子供・・・・・・。



バーラト星域では同性婚を認めている自治区は多い。

だからといって完全な市民権を得ているわけでもない。

首都ハイネセンやここテルヌーゼン・・・・・・主に主要な都市では圧倒的に暗

黙の了解で同性愛はアンチとされている。



結局戦争を150年続けていると人口が減り、子を授からない同性婚は非生産的

なものと言う認識が陰で強い・・・・・・。



これじゃ銀河帝国と変わりないことだとアッテンボローは溜息の一つでもつきた

くなる。表向きだけは自由をうたっているようでいて、実際人間の思考パターン

はマイノリティ(少数派)には冷酷だ。尤も民主共和政治とは多数決を重んじるの

で長いものに巻かれてしまうのはこれまたしかたがない。



そんなことを考えているとますます自分がキャゼルヌに不似合いだと思えてしま

う。












男が男に恋をする。

実は赦されているものの異端扱いを受ける。

自分が知っているキャゼルヌは道徳観も正常であれば倫理にも通じている。






なぜ、好きになってしまったんだろう。

なぜ、本気で好きなんだろう・・・・・・。






駄目だ。



こんなマイナーモードでどうする。

ダスティ・アッテンボロー。

思考を切り替えてアッテンボローはさも無邪気に言った。



「さすが先輩の部屋ともなると広いですよね・・・・・・。いいなあ。部屋だけ

は。」

広い玄関ホールがあってまずアッテンボローはリビングに通された。ここには別

に書斎、寝室、台所(キッチン)浴室・トイレットがあるという。

士官候補生の部屋はこのリビングくらいのスペースで二人で寝起きする。個人の

プライバシーなど言っておられない。ベッドも二段ベッド。



子供部屋もいいところだ。









「士官学校を卒業すればこの程度の部屋は貰える。せいぜい出世するんだな。青

少年。」

独特の淡いトーンでキャゼルヌが言う。



出世か・・・・・・。



ヤン・ウェンリーたちに言わせると自分は軍人に向いているという。

ヤンのシュミレ−ションで参謀を四回務めたことがあり全戦全勝だった。訓練が

終わったときにヤンからアッテンボローは用兵家の素地があるように言われた。

たかだかシュミレートでそうは思えぬしヤンは自分を買い被り過ぎていると思う。



士官学校を卒業すれば少尉扱いで任官する。

いや現時点・・・・・・士官候補生の身分も軍が預かっているので軍人には違い

ない。









家庭の由々しい事情で軍人になってしまった。

これからはひとを殺して金を貰う身の上になる。

輝かしい未来・・・・・・。

呪わしい自分・・・・・・。



「出世する気にならないですよ。できれば前線で戦う一兵卒でありたいで

す。そうすれば少しは生命の有り難みを忘れないでしょう。そういう感覚が慣ら

されて行くのは・・・・・・ちょっと辛い気がします。」



甘いですよね、とアッテンボローは破顔した。

そう。



同じ殺戮者になるなら負うべき債務を見て取れる最前線の人間でいたい。甘い感

傷でしかないのだけれどひとの生き死にに麻痺してゆくのは辛い。









「正常な感覚だよ。俺のように事務ばかりしていると自分は人殺しではないと錯

覚しきっている。度し難いものだ。」

キャゼルヌはそう呟いてデータベースをアッテンボローに見せた。常変わらぬ感

情が伴わない抑揚のない声。



アッテンボローは口にして失言したことに気づいた。キャゼルヌは言わば後方勤

務にあたる。自分の若さに恥じた・・・・・・。

「先輩・・・・・・すみません。そういうつもりで言ったわけじゃないんです・

・・・・・・軽佻な発言でした。」



アッテンボローは言葉に困って謝った。

どう取り繕うという類の問題でもない。

ただアッテンボローが幼かったが故の稚拙な言葉である。

器の小さいものであれば気を害するであろう言葉・・・・・・。






「いや、俺もらちのないことを言ったよ。すまん。・・・・・・珈琲をいれてく

るから自由に端末を使ってかまわんよ。ブランク・メディアもあるし勝手にして

くれ。」

キャゼルヌは口の端だけに笑みを浮かべてデスクから離れた。












・・・・・・呆れられたかもしれないな。



アッテンボローは消化しえない感情に捕われた。

子供とは言えど何もわからぬ赤子ではない。

少し想像力を働かせれば言葉を選べた筈なのに。



データベースの羅列する文字を虚ろに眺めながら自分は餓鬼であほうだという思

いを拭えなかった。






未熟もいいところだなと苦笑して持ち歩いているチップにデータを移した。



長く。

長くこの部屋にいるとおかしくなりそうだった。



自分よりも広い肩や・・・・・・意外に優しい双眸の穏やかな輝きにアッテンボ

ローは過度で間違った期待を抱いてしまう。












・・・・・・妄想ともいえる。



早く終わらせて帰ろうとアッテンボローはきめて作業に取り組んだ。

台所(キッチン)からは珈琲のよい香りがした。

ほろ苦くて・・・・・・泣きたい気持ちになる・・・・・・。



自分は情緒不安定ではない。

かなり安定している方だろうと思っている。

年齢の割に。

けれどキャゼルヌのことになると・・・・・・。















好きだから。

大好きだから、胸が締め付けられる。



いつもの自分ではいられないことを自覚していた。





そんな思いは表にださないで書斎で論文用のデータベースを見ているアッテンボ

ロー。キャゼルヌは珈琲を・・・・・・彼によく似合うほろ苦い芳香を放つ熱い

珈琲を出してくれた。

「わあ。先輩。今日だけは天使みたいですね。遠慮なくいただきます。」

子供を装うのは我ながら意地汚いと思うけれど・・・・・・恋心を悟られてしま

ってすべてがゼロになるのは耐えられない。偽りの笑顔を見せて。


「・・・・・・一言余計だが事務局の珈琲よりはましなはずだ。俺は豆にこだわ

るから。もっともいれかたは極めて不調法だがな。」



成功。

さらに自虐も甚だしいが何もなかったふりをして軽口を叩いてみる。

「味にうるさい割に料理上手の恋人一人も作らないんですか。先輩って料理下手

じゃないですか。」

アッテンボローは無邪気にマグカップを口にしながらキャゼルヌに言う。

無邪気なふりをして。



無邪気で偽悪趣味をおおいに好む悪ガキダスティ・アッテンボローを装う。

「・・・・・・そうだな。本部に移って給料(サラリー)が上がれば考えるとしよ

う。・・・・・・まずいなら無理に飲まなくて良いんだぞ。アッテンボロー。」

キャゼルヌがふざけて渋面をつくって言うからアッテンボローはいや、事務局の

珈琲より数段美味しいですと笑った。















やっぱりこのひとが、好きだ・・・・・・。

三年たった今も変わらない・・・・・・。

誰にもこのひとを渡したくない。

誰にもこのひとを取られたくない。



狂っているとアッテンボローは自分の魂を呪った。

心が、痛むのは何万回目だろう・・・・・・。






窓をまた雨が打っている・・・・・・。さっき一旦止んだのだがまた夕方にかけ

て降り始めたらしい。早くデータを抜粋して寮に帰ろう・・・・・・。体の至る

所に危険だとシグナルが出ている。



もしも。

もしも触れられたら・・・・・・。



何の特別な意図もなくただ肩をぽんと叩かれただけでも自分を見失うとアッテン

ボローはわかっていた。









嫌われるだろう。

汚いものを見るような目で見られるだろう。















それでも・・・・・・。

貴方の指に触れたい・・・・・・。






もうおかしくなって壊れているのかもしれない。

アッテンボローは雨音が静かにさざめく部屋でキャゼルヌへの恋慕を思い知らさ

れた・・・・・・。






6へ続きます。