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背中より絡めた指で伝え合う・1
傷つけるために、愛した訳じゃない。
苦しめるために、愛した訳じゃない。
自分が消えてしまえば・・・・・・あなたは楽になるのでしょうか。
イゼルローン要塞を陥落し、アムリッツァ大戦で決定的な敗北を受けた同盟軍は
人民の目を敗戦からそらす名目として国民的英雄「ヤン・ウェンリー大将」をイゼ
ルローン要塞駐留艦隊の司令官におさめた。
少なくともヤンも後輩でこのたび少将となり分艦隊司令官に任命されたダスティ・
アッテンボローなどは思っていた。
「ああ。早くキャゼルヌ先輩が来ないかな。山ほどある仕事をグリーンヒル大尉と
わたしでこなしているが到底あのデスクワークの達人には及ばないのさ。」
アッテンボローがヤン家にのみにいったときのこと。
ユリアン・ミンツは苦笑して自分の保護者が言った言葉を聞いていた。
本当はヤンがというよりも仕事の比重からするとグリーンヒル大尉の方が大変そう
だと少年は思ってオードブルを用意していた。アッテンボローはコニャックを飲み下
しつつ。
「ヤン先輩よりグリーンヒル大尉の仕事が減って良さそうですね。」
と少年が言いたいことを見事に代弁してくれた。
「イゼルローン要塞の生活水準が大幅に改善されるでしょう。あの御仁はエリ
ート官僚ですからね。でも本国のビュコック提督にも要請しているんでしょう。
キャゼルヌ少将の要塞赴任。そもそもあのひとがとばされるのが納得いきかね
るわけですけどね。」
アッテンボローはサラミとチーズののったクラッカーに手を出した。
サーディンをつまんでヤンは言う。
「アムリッツァでは結局配給路をたたれたことが敗因である以上、後方勤務で
補給係の任務に就いていたキャゼルヌが責任をとらされるのは致し方がない。
責任の処分を受けない国家より処分がある国家の方が健全ではあるんだ。と、
建前を唱えておくよ。もちろんあれだけ優秀な人物が馬鹿を見るのはわたしも
不愉快だし是非ともうちの艦隊に登用したい人物であるからハイネセンにはこま
めにうるさくいってる。幸い、ビュコック提督が国防委員会に呼びかけをしてくだ
さっているから・・・・・・近々色のいい返事をいただけるといいな。」
デスクワークの大半が片づけばグリーンヒル大尉が楽になるのも否めないなと
ヤンは微笑んだ。
でもその微笑みも少し、かげった。
そんなヤンを見て見ぬふりをするアッテンボロー。
つい笑顔をけしてしまったことにとまどうヤンは、ユリアンに二人ではなしがある
から悪いが席を外してくれないかと、珍しく少年を歓談の場からはずした。
ヤンとアッテンボローとユリアンは年齢こそ違えど何かといろいろとはなしをする
のに今夜は違うらしい。
聡い少年は軍の機密に関することかもしれないと察して、
「では、何か足りないものがあったらおっしゃってください。お持ちしますから。
部屋で本を読んでいます。」と頭を下げて機嫌を損ねることもなく素直にその部屋
から出て行った・・・・・・。
機密、といえば機密。いや・・・・・・秘密という言葉がふさわしい。
「ユリアンをはずす必要があったんですか。先輩。」
「うん。わたしはあの子がまだ幼いと思っているから、誤解を与えたくないと思っ
ている。」
恋愛に対して。
「本当にキャゼルヌをよぶ。おそらくそう遠くはないと思うよ。わたしはこの通り
あまり事務処理能力に長けているわけではないし、優秀な文官がいれば登用
したいと思う。武官は十分とは言えないけれどまあいい人材が集まったとは
思っている。最前線の司令官職としては当然の欲求の帰結といえるよね。」
ヤンは手酌で自分のグラスにコニャックを注いだ。
そんな。
「そんな回りくどいことをいわなくてもわかります。要はあの人は単身赴任じゃ
ないぞといいたいんでしょう。そして・・・・・・。」
お前さんたちはまだ続いているのかといいたいんでしょうとアッテンボローは古代
ユーラシアで使われた絵の具、緑青と同じ色の眸でヤンを見つめた。
「込み入ったことを聞いて悪いとは思うんだが管理職だからね。わたしも。」
ヤンは頭をかいた。
「以前お前さんを第10艦隊から引き抜くときにもこのことがわたしの心の中に
引っかかっていた。といってもお前さんもわたしが今後迎える局面に必要なん
でキャゼルヌをいずれこの要塞に呼び寄せるとしても、どちらかひとりがかける
のも困るんだ。だけど心情というものは人事とは全く相容れないこともある。
・・・・・・うまく言えないけれどまだお前はキャゼルヌが好きなのかい。要する
に。」
先輩にしては。
「ヤン先輩にしては直球ですね。ご自分の恋愛事情は言質を取らせないのに。」
アッテンボローは笑顔でいった。
そばかすがなかったら。
怜悧な美貌の持ち主の青年。
偽悪主義とそばかすと、気さくさで容貌をごまかしている風情がある。
だがヤンはまじめに言った。
「キャゼルヌが独身の男ならわたしだって何も口を挟まないよ。そこまで野暮じゃ
ない。半分は軍務上の不安と・・・・・・半分は後輩への心配かな。」
困ったような顔をしてヤンはアッテンボローを見つめた。
「・・・・・・そんなに心配ですか。」
「心配だよ。本来お前さんの色にそぐわない恋愛だからね。マダム・キャゼルヌ
や二人のレディとなんのうさもなく過ごしている姿が目に浮かぶけれど・・・・・・本
当はこっそり・・・・・・。」
こっそり夫を、父親を寝取っている・・・・・・といいたいんですねとわざとわるぶった
風に青年提督は意地の悪い笑みを見せた。
違うよ。
「モラルに反するがわたしはお前さんの味方だ。こっそり部屋で一人で泣く
のがアッテンボローだろう。お前さんは悪く自分を見せるのが好きで現にそ
れが大いに成功しているけれど、実のところは育ちがいいモラリストだ。おそ
らくはわたしなんかより遙かに道徳的だよ。キャゼルヌだってそうだ。当人同
士が辛い恋愛だねっていいたかった・・・・・・・友人としてね。まったく恋とは
実に悩ましいよ。」
口のはしをあげてヤンは薄く笑った。
おかしくて笑っているのではなく、所在ないから微笑んだだけである。
けれど本質を突かれて・・・・・・・アッテンボローは琥珀色の液体を見つめた。
ゆらゆらと揺れてゆがんだ自分の顔が浮かんでいる・・・・・・。
国防軍士官学校。
ダスティ・アッテンボローは不本意なまま入学を強いられた一人である。
代々軍人の家系である母方の家。
ダスティ・チェンバレン退役少将。
彼はジャーナリストであるパトリック・アッテンボローが愛娘エリザベスを
花嫁にほしいと言い出して以来、実に100回の口論と三回の殴り合いを
繰り広げた。
ついにアッテンボローの祖父がおれて二人の結婚が赦すわけだが条件は
「誕生した男子は軍人にすること」であった。
長女パトリシア、次女グレース、三女ヴィクトリアと美しい孫娘の誕生を喜び
つつついに男子の誕生を待たずしてダスティ老人はこの世を去ったが・・・・・・
その三年後に初めての男子が産声を上げた。
名前はダスティと名付けられて亡くなった祖父と同じ職業を運命づけられて
いた。
生まれ落ちた瞬間から。
そんなナンセンスな話がこの世にはあるものだと15才の青年ダスティは
不如意だと思う。
何も軍人家業を継ぐのは男でなければなぜいけなかったのか理解でき
ない。
すぐ上の姉、ヴィクトリアの強靱さはなかなか軍人としてはよい資質に思
えたし、ダスティは父親と同じくジャーナリズムの勉強をしてその道で食べ
ていこうと思っていた矢先に士官学校になど入れられてしまった。
へたな泣き落としで。
まあ考えれば父のいうことにも理がある。
自分一人が不幸になってあとの家族が幸せならばそれでいいかもしれないと
なかば、殉教者のような気持ちでいたのも否めない。
父親はともかく母と三人の姉が無事ならばそれもよかろうとはらはくくっていた。
腹はくくっていたが、入学式の時上級生と早速トラブルを起こした。
入学したばかりの候補生を上級生が目があったあわないと因縁をつけ、あげく
有無をいわさず殴っている。こういうことをダスティ少年はけして赦せない。
そして、傍観者ではおれない正義感とはまた数光年離れた野次馬的根性がむく
むくと頭に広がった。
「年長者が年少者に故なき暴力をふるうのは民主主義の理念から大きく逸脱
しますよ。実に嘆かわしい光景ですよね。」
と言い終わる前に一人の上級生を殴っていた。
この際上級生の数が5人なのは仕方がない。
式典を前にダスティ少年と上級生との乱闘が始まり・・・・・・当然のごとく6人
は厳罰を食らうことになる。
入学式が終わってシトレ校長にとくとくと説教を賜る。
声を荒げるわけでもなく正論を唱えるのでジャーナリスト志願の少年も反論
の余地はなかった。後のシトレ元帥は厳格かつ公正であった。
ダスティは背だけが伸びている成長期の子供だったが下級生をいじめる
程度のことしかできぬ青年たち5人を相手に果敢に戦い負けはしなかった。
腕っ節はそれなりに自信はあった。
「お前さんは全く馬鹿なのか潔癖なのかわからん性質を持っているな。5人
を相手に無茶をしおって。この程度の怪我ですんでよかった。いきなり軍病院
に入院させるなんてことはしたくないからな。」
何も理屈はいらない。
抑揚はないが耳に心地よい声。
事務職をしているのであろう、長くてふしが綺麗な指。
素っ気ないように見えて実際はアッテンボローを医務室に連れて行って手当を
するときのさり気ない丁寧な所作。
少年が恋に落ちたのは理屈では語れない。
そんな心の動揺を悟られぬように少年は・・・・・・アッテンボローは仮面をかぶ
った。
あざとく、そこそこ世慣れしたようなティーンエイジのフリをする。
「無茶でもこちらが正当でしょう。キャゼルヌ事務局次長。」
消毒液を傷にぬってあざになった脚に湿布をしているアレックス・キャゼルヌ
大尉にアッテンボローはいった。
「お前さんが正当だからこうしておれがケアしてる。気骨の良さは気に入った。
おもしろい新入生だよ。お前さんは。だが今後はあんまり騒ぎを起こすなよ。
いつもいつも士官候補生の怪我の手当をしにおれはここにいる訳じゃない。
もっともえらそうにいうがおれも軍人として何がしたいかもよくわからぬままだ。
説教するほどの徳はないな。」
なんだかやけに波長が合うとアッテンボローは思った。
でも実はキャゼルヌが年少者の扱いがうまいだけじゃないかといぶかった。
どう見てもキャゼルヌという士官学校事務局の事務局次長は20代の前半に見
えた。もちろん大人であるには違いないが30には手は届くまい。
鈍い褐色の髪を短く切って清潔感があるし口調や声は落ち着いているがまだ
青年士官といった様子である。
「まさかお前さんは15にもなって正義は必ず勝つと思っているのか。」
キャゼルヌはガーゼを当てながらアッテンボローの緑青の眸を見据えた。
薄い緑に鈍色が混ざったような不思議な眸と髪の色はアッテンボローの特徴
だった。
「それは思ってないですよ。」
ならいい。
「今後こういう騒ぎが起こってもいちいちかみつかぬことだ。犬でもかむ相手を
間違えはしないんだぞ。お前さんの不利益になる。お調子者と吹聴されたいの
か。」
犬扱いされてもなぜか不愉快にならなかった。
口の穢いひとだなとは思ったが。
お前のおつむが水準以上だからいってるんだとキャゼルヌはいう。わからない
馬鹿相手に時間を浪費するのはかなわないと口元は笑わないが、眸だけ
・・・・・・その眸だけ微笑んでいた。
「見過ごすというのも実は大人になるということだ。ほめられたことじゃないがいって
おく。覚えておくに損はないぞ。明日からは実技の授業もあるんだから今日は
部屋で安静にして怪我を治せよ。お若いの。」
理屈なんて、ない。
理屈なんて、いらない。
ああ、おれはこの人が好きだなと思った。
それは何よりも確かな少年の心であった。
その二ヶ月後にヤンとであったアッテンボローはますます士官学校も悪くない
とまで思うようにはなった。
いつもあの鈍い金髪を目で追っていた・・・・・・。
そんな15の時のことをアッテンボローは思いだしていた。彼はあのころのキャゼ
ルヌを追い越して27才になっていた・・・・・・。
2へ続きます。開通2009/09/13 (日)