あなたの代わりはどこにも居ない・3







イゼルローン駐留艦隊司令官閣下は同じく分艦隊司令官の持ってきた

書類に目を通してひとこと。



「すごい噂になっているね。お前さん。」

と万全な書類に署名(かなり悪筆)をして返した。才媛と名高い副官は

席を外していたし賢い子供といわれる少年は紅茶を入れに給湯室へ

行っている。



噂って。

「噂って私の噂・・・・・・。なにかありましたっけ。演習でやらかした

ミスとか。」

抜擢された割にたいした将官じゃないとかって言う噂でしょうかねと

鉄灰色の髪をした優秀なくせに偽悪ぶる後輩をヤン・ウェンリー大将は

みつめた。

はてと思い当たるふしがないようにダスティ・アッテンボロー少将は

首をかしげた。



ヤンは思う。

キャゼルヌが一日でも早くこの要塞に来れないかなと。

赴任は決まっているが到着はまだである。

目の前のこの仕事はシャープな後輩は色恋沙汰に今二つほど疎い。

ヤンは自分が野暮天といわれるのはある意味ありがたいと思っている。

野暮でけっこう。

しかし人間の心理をくみ取る能力がそれなりに卓越していなければ

29歳で自由惑星同盟軍最年少の大将閣下にはなりえない。

そして情報の入手もそれなりに早い。



「薔薇の騎士連隊第14代連隊長に近づいているらしいね。

アッテンボロー。」

黒髪の司令官らしくない青年がむやみに大きい執務室の机に

指をくんでおよそこれまた提督らしくない後輩の青年に向かって

いった。

悪いでしょうかとアッテンボローはいかにも悪くないという風情で

言う。

悪くはないよとヤンは言う。



でも。

「でもややこしいよね。ちょっと頭を使えばなぜややこしいかよくわかる

だろう。」

ややこしいといって。

「ややこしいですか。私がカスパー・リンツ中佐と飯を食いに行くことが。

単なる友好じゃないですか。」



アッテンボローはこともなげに言うけれど。

ヤンは長くこの後輩をみているからわかる。

彼はなぜか女性に言い寄られるより圧倒的に男性に言い寄られる

傾向が大いにある。

だからワルター・フォン・シェーンコップ准将やオリビエ・ポプラン少佐が

アッテンボローにこなをかけている事実はヤンはすぐ納得した。



恋愛は大いにけっこうだがアッテンボローは昔から言い寄られた男

たちを手厳しく袖にしていた。アッテンボローは一般的な男性で恋を

するなら男ではなく女性といたしたいとねがう一青年だからである。



早くキャゼルヌが来ないかなとヤンは思う。

こういうことに口を挟むのは愚の骨頂でヤンとていい気持ちはしない。

キャゼルヌなら・・・・・・。

素早く合理的にアッテンボローに釘を刺しよい方向へ話しを持って行く

だろうと。こういうことはヤンは苦手である。



「私生活のことに私がものを言うのは越権行為だと思うんだけどね。」

全然ですよ。

「今更何他人ぶってるんです。先輩後輩の仲じゃないですか。つまり

ミスター・シェーンコップやミスター・ポプランとの交遊は持ちたがらない

のにミスター・リンツとは個人的に食事をしたいと私から彼に申し込んだ

ことが騒ぎのもとですよね。」



うん。「わかっているじゃないか。アッテンボロー。相変わらず人が

悪いね。」

もっとわかっているんですよと27歳の最年少提督は指をひらめかし

言う。



「14代目は生粋のゲイなんです。」

なのに。

仕事を超えて個人的につきあおうとしている、友情であろうと。

「問題は私がゲイになることでしょうか。それともシェーンコップ、

ポプランの騒ぎがことのほか大きいことでしょうか。」

翡翠色した瞳を輝かせてアッテンボローは笑みをこぼした。ヤンは

とうとう脚をテーブルに投げ出した。「どっちもどっちだな。」

ヤンはどうでもよくなると脚をテーブルに投げ出す癖がある。

もっとも精励していても思考に行き詰まると脚を投げ出す癖がある。



一緒に飯を食うだけです。



「おおかたの見方ではリンツ中佐は先代に比べれば個性こそ派手さは

ないが若さの割に連隊の統率に優れなかなか評判が高いんです。

比較対象が要塞防御指揮官とあればいささか悪い気もしますが実際

現場で戦う人間の話も私は指揮官となった今ききたいのは事実なん

ですよ。第十三艦隊がかかえたこの「要塞を奪取した現場の人間」と

ふつうに会話をしたい。それだけなんですけれどいけませんか。」

・・・・・・。

それでとうの要塞を奪取した前戦の総指揮官シェーンコップ准将は

それで納得したのかと聞きたいヤンであったが。



ま。

「その姿勢は指揮官としてまんざら悪くはない。それにお前さんはもう

27だっけ。」

先輩は29ですよねとアッテンボローは茶々を入れた。

咳を一つヤンはした。



自由にしなさい。

「先輩。騒動のもとはシェーンコップとポプランで私じゃないんですよ。」

青年提督は抗議をしてみる。

司令官もそれはよくわかっていると答えた。

私だって。

「アッテンボローが悪いとは思わないよ。岡惚れした連中の都合だ。

でもリンツ中佐は・・・・・・。えっと。」

言いにくそうな司令官に代わってアッテンボローは代弁した。

「男殺し。」



そうそう。

「それだ。もし言い寄られたらどうするつもりだい。これはあくまで興味

本位できいているんだけれど。」ノックがしてミンツ軍属が紅茶と珈琲を

もって部屋に入室してきた。



「そういう野暮な男ではないらしいです。」

少年の存在に気を使い言葉を巧みにごまかす。「誰でもというわけでは

ないらしいですよ。自分の嗜好を相手に強要はしないと聞きます。」

アッテンボローは楽観的だ。

ヤンはそれをとても普段心強く思うけれど。



ままならないのは恋の法則ではなかっただろうかと熱い紅茶にそっと

口を付けた。

キャゼルヌが早く来ないかなと。







要塞ではアッテンボローとリンツがたかだか仕事帰りに食事するという

だけで大きな騒ぎになっていた。騒ぎの火種をまいたのは空戦隊第一

飛行隊長。

カスパー・リンツ中佐はなぜこんなことになったんだろうと渦中にいながら

不思議に思っていた。過日薔薇の騎士連隊の訓練をつけて休憩時間に

なると分艦隊司令官閣下が休憩室で珈琲を飲み悠長に過ごしていた。

実に。



絵になるひとだとリンツは思った。



でもこんなところになぜ彼がいるのか判じかねて入り口で立っていると

青年提督は「飯、食いに行かないか。中佐。」と屈託なく言った。

ついリンツは「はあ。」と間の抜けた答えを口にした。

「小官は何か提督に不都合なことをしでかしたのでしょうか。お叱りですか。」



叱るほど。

「叱るほど貴官のことは知らない。だから貴官が知りたい。」

不思議な色をした髪がややランダムにのびている。髪型に頓着していない

様子がまたリンツには好印象であった。

「仕事のお話ならお伺いしますけれど。何も個人的なお時間を割いて

頂かなくても・・・・・・。」

そういうのをなんて言うか知っているかと青年提督は悪びれず言う。

わかりませんと素直にリンツが言うと。



「慇懃無礼って言うんだ。」



飲み干した珈琲の紙コップを手にしてアッテンボローは気を悪くした

訳でもないようで少しばかりハスキーなトーンの声であっさりという。

「ただ単に貴官とは知己になれそうだと思ったんだ。第一印象がよかった。

僚友を得るのは難しいものだし個人的に親交をあたためたいと思った。

25歳の若さでこのやさぐれ集団の連隊長になった人物と会話をしたい

っていうのは、何か大きな問題があったっけかな。」



いえ。

「問題はありません。」

リンツは居住まいを正して回答した。

じゃあ。「いつならいいんだ。要塞奪取の話しなどきかせてもらいたい。」

アッテンボローはあのときその作戦に参加していない。

それに。

「若輩ながら自分も指揮官となった。現場の声はきいておきたい。」

翡翠か瑪瑙。

そんな静かで品格がある石を思わせる眸。

自由磊落な気風を身にまとっているけれど実質この人は酔狂で

最年少提督になった人物ではないとリンツは判じた。水鳥は湖畔で

優雅に泳ぐようにたたずんでいるが水中では物凄い力で水かきを

しているものだ。



この方も存外苦労性かもしれないとほぼ的を得た人物観察を

14代目はした。

小官の話しでよければ喜んでと返事をし都合はアッテンボローに

あわせると答えた。陸戦の訓練室という色のない世界で。



ダスティ・アッテンボローというひとはあまりに彩りにあふれている。

リンツはおさえようとしてもあふれるアッテンボローに対する憧憬が

やや頭をもたげた。

じゃあその時間に落ち合うことにしようなと青年提督はおそらく当人は

理解していないであろう魅力あふれる春の陽光を思わせる笑みを

みせて訓練室をあとにした。



春一番のようなひとだ。

リンツは思った。

それが二日前。今夜1800時に青年提督の執務室にリンツが迎えに

いくことになっている。



・・・・・・。

先代はこの件に関して「ほう。」と一言。足の先から頭のてっぺんまで

改めて長いつきあいなのに見上げられて以降このことで会話はして

いない。何せ食事だけであるし騒ぐ方がおかしいと思うけれど。

この二日ですっかり二人が二人きりでまじめに食事をすることが要塞の

ゴシップになっている。大げさでお気楽な気風だと思う。ここは最前線

イゼルローン要塞なのに。



そう自分の心の中で周囲を揶揄してみるものの。

純然たる青年提督のよき僚友になり得るか14代目は少し懊悩する。

「ノーマルな恋愛をする男に恋をしない。」

これが彼の規律だった。



だがあっけなくその規律は破砕され思いあぐねる始末である。

だが。

さもしいまねはするまいと自らを律して1800時が来るのをやや緊張

しつつ待っていたというのがカスパー・リンツ中佐の事情であった。




  



次くらいには何か進展があってほしいものです。

イイコトモなにもない裏なんて。