キスの前にお願い一つ







酔った勢いで彼は彼にキスをした。

しかも舌の絡まるようなお熱いのを士官クラブでみなの前で58秒の間。


後悔して逃走しているのはダスティ・アッテンボロー少将。

逃走せず被害者となったのはワルター・フォン・シェーンコップ准将。



「なぜ私は男にキスなんてしたんでしょう。先輩。今まで野郎の毒牙から

逃れ続けて28年生きてきたのに、もっとも男くさい奴をなぜおれは

つかまえたんでしょうね。」

分艦隊司令官殿は駐留艦隊司令官閣下の執務室でぼやいた。

「お前は士官学校時代から男に好かれては逃げ回ってたのに無駄に終わったね。

私が聞いた話だとお前は昨日の夜あの男と飯を食ってそのまま士官クラブで飲んでいたと。

なぜそこまで深酒をしたのかわからないけれど隣にいたのがあいつだったから

したんだろう。」

ヤン・ウェンリーは冷めないうちにユリアンの入れてくれた紅茶をいただく。

「先輩冷たいですね。」

「うん。私は人格者じゃないから。それにお前が深酒をしてキスをするのは今に始まった

ことじゃないんだよ。アッテンボロー。お前は知らないだろうけど。」

え。まじですか。

「本当だ。被害者がいる。」

「誰ですか。士官候補生時代ですか。軍人になってからですか。どうしてそんな

悪癖をもっていることを知ってて教えてくれなかったんですか。」

まあ。コーヒーでも飲んで。とヤンはすすめた。

彼は書類に埋もれている。キャゼルヌ少将がまだいないこの時期、

彼は非常に忙しい。かわいい後輩でなければとっくに追い出しているところであった。

「私は普段からお前に深酒はするなといってなかったっけ。」

・・・・・・。

「それはいってました。でもそういうのは飲みすぎるなって警告みたいなものと

受けとめてました。」

「それと私の知るところではその悪癖というものは今回で二度目だ。被害者は准将と

もう一人だけ。」

「それって誰ですか。」



「お前は存外鈍いね。私だよ。」

ぎゃん。

「酒は今度こそ本当に適度にするんだよ。お前は4杯すぎると気持ちが高揚して酒が過ぎる。

大人だからわきまえなさい。」

はい。と後輩はうなだれる。

おれは先輩ともキスしたのか・・・・・・。

というか。

そのときも舌を入れたりそのようなキスだったのだろうか。

「大体そんなところだった。・・・・・・アッテンボロー。これはね命令なんだけど。」

「はい。ヤン司令官閣下。」

ちがうよ。

はい?

「ヤン・ウェンリー個人の命令だよ。」

「はい?」

ほうけた返事をしてしまったアッテンボロー。



「お前は本当に鈍い。私以外の人間と水割りを4杯以上は飲むな。女でも男でも

だめだよ。キャゼルヌでもだめだ。」

ヤンは紅茶の香りを愉しんでいる。

「じゃあ先輩とならいくら飲んでもいいんですか。」

・・・・・・。

黒髪の司令官は返事に窮していう。

「帰結するのはその点だ。命令に従うかい。」

・・・・・・。返事に困るアッテンボロー。






「先輩、まさかおれが好きとかってありえないですよね。」

かちんという金属音がしたような空気。



・・・・・・ありだったのか・・・・・・。



「・・・・・・忙しいからでていきなさい。これ以上こういう話に付き合う時間がない。」

不器用な人だなとアッテンボローは思うし自分のことも不器用だと知っていた。

これは告白だったのか。

「手伝いますよ。仕事。」

「お前は艦隊の編成表を・・・・・・。」

「出したでしょう。昨日。」

手伝いますから。



「キスしてもいいですか。今度は酒抜きの本気のキスですけど。」

・・・・・・。

ヤン。ウェンリー大将再起動に3秒かかり。

「紅茶を飲んだらね。」

先輩って考えてることが今ひとつわからない。でも。

こんな風に恋が始まることもあるんだ・・・・・・。

「これって恋ですよね。」

「世間一般ではね。」

「じゃあおれたちは世間一般ではないんですか。」

「いいや。世間一般だよ。」

先輩、言語が明確ですが意味が不明です。

「先輩おれが好きですね。」

「お前を嫌ったことはないよ。」

「そういう意味合いじゃないですよ。」

「そういうのは自分の心情をきちんと吐露してから質問しなさい。」



これは惚れたものの負けだ。

「おれ、先輩なら恋してもいいなと思います。」

「同意。」



ズルイ・・・・・・。

「先輩ってするいですよね。」

「だからいっただろう。私は人格者じゃない。だからそういうことは

あまりいわないことにしている。ずるくて結構だ。」

そして逆切れときたよ・・・・・・。



「先輩がずるかろうが大量殺戮者だろうが政府に操られた軍人だろうが

おれはいいんです。お願いが一つだけあるんですが。」

なんだいとヤン・ウェンリー。



「おれにだけは優しくしてください。おれも優しくしますから。

冷たくされるとつらいですよ。約束してくれないですか。」

紅茶を飲み干したヤン閣下は手招きをした。こいこい。

ついつられてアッテンボローが近づくと。

「耳をかしなさい。」

「・・・・・・返してくださいね。」

「いやだよ。かしなさい。」

仕方なく耳をヤンに近づけた。



約束しよう。

横着な人だなとアッテンボローは思いつつ。

「仕事どれを手伝えばいいんですか。おれ事務処理そこそこ早いですよ。」

離れようとしたらくいと腕を引っ張られ。じっと見つめられた。

「本気のキスですからね。」

「私も本気のそれだよ。」

触れた唇は思いのほか柔らかくて、すこし紅茶の味がする。



「・・・・・・今日が始まりですよね。」

「ううん。違うね。」

にっこりと微笑むヤン・ウェンリー。

「お前が士官候補生時代にキスしたときから始まっていたんだ。」

「これがおわりじゃないですよね。」アッテンボローは尋ねる。

「うん。今後も続投。そうだ今度のキスの前にお願いが一つある。」

ナンデスカ。とアッテンボローが首をかしげた。

「お前も紅茶を飲みなさい。コーヒーの味がするよ。お前。」



男同士の恋愛だから難しいのか、相手がこの人だから難しいのか。

「紅茶か酒ならいいんでしょ。」

大いに結構だとイゼルローン要塞司令官は笑みをこぼした。



fin